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大和と回天

昨日TVで放映されていた「男たちのYAMATO」に続き、DVDで「出口のない海」を観る。

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反戦映画の連ちゃんは心臓に悪い。しかし、反戦映画でありつつも2つの映画には大きな差があった。

「男たちのYAMATO」の怒涛の殺戮シーンはむごたらしいけれど、戦後世代が抱く大和にシンボライズされる、技術立国ニッポン的な戦艦巨砲主義へのある種の憧憬が隠せないような気がする。

日本の技術の粋を結集した美しい戦艦大和に選ばれて乗り組み死地に赴くことは、ある意味で戦中の英雄的行為ともいえる。映画では、久石譲の哀切かつ勇壮なBGMとともにヒロイックかつ荘厳なドラマが展開されていた。

それに比べ、ただの筒のような回天にたった1人で乗り組む無名な若者の悲惨さ、無念さ、恐ろしさはいかばかりか。乗りんだら最後どこに行くかもわからないし、敵と遭遇できずなんの戦闘行為もないままに海中深くで1人呼吸が途絶える危険性も高い回天。

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YAMATOのような、死ぬ前の仲間たちとの熱い団結や撃たれた友の代わりに砲台を守らんとする犠牲的な行為もない。

回天という無名の筒に乗った若者を待つもは狭い密室での絶望と恐怖。派手な戦闘シーンもないまま命絶えるその瞬間まで、出口のない海をたださまようのみ。

戦後60年以上たった今も巨額の製作費で映画化されるや大ヒットを記録した大和。

ローバジェットで製作され、公開時にほとんど話題にもならず、レンタルビデオ店にも1本しか置かれていない回天の物語。

ただ、当時の名もなき若者たちの実像は後者に描かれていたような気がした。

ヒロイックな高揚感も生のリアルもない。ただ命も記憶も消えてなくなるのが戦争というものなのだなと。

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ゴルゴ太郎で行こう

いろいろ調べているうちに、今回の総裁選も出来レースだなぁと思って静観していたけれど、
麻生太郎ちゃんの新総裁就任のあいさつにはさすがにがっくし。。


「21世紀に入りましてから、森 喜朗、小泉 純一郎、安倍晋三、福田康夫、この8年間の間に、われわれは、極めて厳しい状況の中にあって、それぞれ、使命を全うしてこられたと存じます―」

たった8年間で5人も総裁(首相)が替わってるっちゅうのに、全うもなにもないだろうに。。
平成以降から数えると、もう13人目だそうな。
官僚主導制が変わらない限り誰がやっても同じとはいえ、
中学の生徒会長じゃないんだからそうくるくる変わらないでよと。


太郎ちゃんの挨拶で印象に残ったのは茂爺ちゃんの話だけだった。
なにも爺ちゃんの名を就任あいさつで出さなくてもよさそうなものなのに。
オモシロキャラだと思うけど、やっぱりボンボンでしかないのかなぁと。

ボンボン特有の無自覚なレイシストといわれる太郎ちゃん。
中国や韓国メディアでは、炭鉱労働で中国人・朝鮮人を奴隷のように酷使して財を成した一族の末裔が日本のトップになりそうだということで、反日感情が一気に沸騰しそうな気配ありあり。

これでいつもどおり、失言したら火に油な感じ。
トップはおもしろくなくても別にいい。
短い任期、せめてゴルゴ13にならって寡黙でいてほしいなと。


2ちゃんねらには人気と言われてるらしいけど、最近、野中広務などへの過去の差別発言がブロガー間で広まり一気に人気が急降下。

ネットで人気という点で選ばれたはずなのに、ユーザー評価は5点満点の2点。
国会議員麻生太郎の通信簿 

性格は悪くなさそうだし、オモローな一議員でいつづければきっと人気も維持できたはず。
似合わない首相キャラになることを、一族以外のいったい誰が望んでるんだろう。

このTシャツの売り時もあとわずかか。

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編集者の魂はどこへいくのか

編集者という病い 編集者という病い

著者:見城 徹
販売元:太田出版
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幻冬舎の社長というか「魂の編集者」見城徹さんが書いた本。

見城さんが、
「人生の総決算」ちゅうある意味おおげさな言葉を使って書いただけあって、
さすがにど迫力の1冊。
壮絶稀有な編集者としての濃い生き様が描かれていた。

同世代の編集者たちが、作品の黒子としてのエージェント的な作業に淡々と徹する編集者であろうとするいま、このひとはある意味、激しくマッチョな大時代がかった古典的編集者の最後の生き残りともいえる。

このひとが出版業界で成し遂げたことについて賛否両論あることも事実。
よい意味では革新的ともいえるけど、
その確信犯的なゲリラ活動で、現場に大変なパニックをもたらしたこともしばしば。

ただ、このひとのような狂気と紙一重の情熱がないと、ルーティンワーク化したこの業界が活性化しないような気もする。
冷めたピザ化しつつある同世代の編集者にはぜひ一読してほしいなと。

ただし、もうこのひとが駆け抜けた時代とは違うし、
同じようなことをやってもただの2番煎じ。

同世代の編集者の愚痴でよく聞くのは、
上の世代の編集者たちがほとんどのジャンルを開拓しきってしまって、
もうやるべき新しいことが残っていないということ。
残されたしごとは作業の合理化やらコスト削減やらの縮小再生産の作業なのだと。

たしかに、この本を読む限り、上の世代のひとたちは長い時間をかけて、そうとう深く濃い穴をたくさんほってしまっているなと。

もう開拓すべきフロンティアはほとんど残っていないなら、限られたパイの奪い合いをしてもしょうがない。

深く掘りさげるタテの突進力ではなく、
いかに多彩なオプション攻撃をヨコ展開するかがいまの編集者に残された唯一の道かなと。

このひとみたいな生き方がなかなかできない以上、まったく異なる方法論が必要なんじゃないかと思わせられた1冊。

そして、電子書籍という新しいツールが古き良き編集者魂をよびおこし、古い世界ではもうできないチャレンジの場として機能することができるかはこれからの課題だなと。

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戦争はいかに「マンガ」を変えるか― マンガの地位はなぜ低い

マンガ文化の日米比較論的ともいえる、とてもおもしろく刺激的な1冊。

戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌 戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌

著者:小田切 博
販売元:NTT出版
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かなり硬めの本なのでまだうまく理解できていないんだけど、
日本で数少ないまともなマンガ評論家のひとり、夏目房之介氏のレビューはさすがに的を得ている。
夏目氏が同書より抜粋した下記の文章には、はげしく同意。

(日本のマンガ評論本の)言説の持つ脱歴史性、それが結果として、(マンガ)で描かれた表現から政治性、社会的な意味を読み取ることを読者に放棄させる役割を果たしてきた点を指摘しておきたい。〉

〈いまや私たちはかつて排された「『まんがと社会』や『まんがと文学』『まんがと映画』『まんがとTV』『まんがと思想』その他もろもろの、まんがと他の物を対立させて展開するまんが論」をこそ切実に必要としているのではないか〉


著者の主張は、マンガ家は戦争・政治に対し、出版社など周囲の圧力から逃げずに踏みとどまり、マンガ批評は逆に政治・社会を取り込むべき、というもの。

従来のマンガ論本にありがちな、
論でもなんでもない「自分語りエッセイ的読書感想文」
に対する痛烈な批判だなぁと。

いまや、コンテンツ振興法などで国策のひとつに指定されるほどのメジャーカルチャーといえるマンガ。

圧倒的な数の読者と巨大市場を持つマンガがその存在感とは裏腹に、
出版界で「軽チャー」としてみなされてきたのはなぜか。

マンガに関係するしごとやマンガ文化そのものが低い地位に置かれ続けてきたのはなぜか。
その答えのひとつが本書にあったような気がする。

著者の小田切博さんには、次作ではもっと踏み込んで闇の部分にふれてほしい。

マンガ家や読者がマンガに社会的な意味を付与することを
放棄するような風潮は、なぜつくられたのか。

たぶん、マンガに関するいろんなことを考えている
多くの人がここに行き着いて止められてしまうような気がする。

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シルミドは今も  朝鮮半島工作戦のリアル

北朝鮮に潜入せよ (講談社現代新書) 北朝鮮に潜入せよ (講談社現代新書)

著者:青木 理
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ここ最近、朝鮮日報の最新ニュースをチェックする習慣がついてしまった。

金正日重病説がまことしやかにささやかれる昨今、
北朝鮮(軍)内部の謎や過酷な強制収容所の闇に迫る本かと思いきや、まったく逆の視点から朝鮮問題を描いた内容だったのが意外。

北朝鮮から韓国・日本等へのテロ行為については日本でもよく報道されているものの、韓国側から北朝鮮に対するテロ行為・要人拉致行為をミッションとする「北派工作員」の存在はあまり知られていない。

映画「シルミド」でその存在が明らかにされた北派工作員の歴史的経緯と現在のリアルを明らかにした興味深い1冊。


良くも悪くも、南北朝鮮における冷戦構造安定化の土台となってきた金王朝が事実上倒れかけている今、朝鮮半島と日本に存在する多くの工作員たちの厳しい前途と周辺各国の一般市民のこれからを暗示させる内容でもある。

本書を読んで、北朝鮮の現体制崩壊は日中韓の軍事バランスの激変をまねくものでもあるような気がしてきた。

工作員たちのよりどころとなった韓国軍事政権との蜜月を維持することで経済成長・安定政権を保持してきた自民党政権は、未曾有の緊急時といわれる今、いったい何をしているのだろうと考えさせられる。

あとがきにつづられた、緊迫した両国ともっとも近い隣国でありながら平和ボケした日本への警句が重い読後感として残る。

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マグマ  エコと原子力発電の関係

マグマ Book マグマ

著者:真山 仁
販売元:朝日新聞社
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『ハゲタカ』の著者・真山 仁が放つ、地熱発電をテーマに最新のエネルギー情報をちりばめて描く大型経済情報小説。

内容(「BOOK」データベースより抜粋)
外資系ファンドのゴールドバーグ・キャピタルに勤める野上妙子は、東京支店長の待田顕一から、地熱発電を研究運営する日本地熱開発(地開)の再建を任される。妙子は地開の社長・安藤幸二や研究責任者の御室耕治郎から地熱発電の大いなる潜在力と将来性を説明され、再建の可能性を探る。一方、先進国エネルギー問題会議で、日本は欧米から原子力発電の閉鎖を強硬に求められていた―。
石油危機が叫ばれる今、ビジネスマン必読の書。

日本国内での外資系投資ファンドによる事業再生にエネルギー問題を組み込んだ「ハゲタカ」の続編的な物語かと思いきや、日本や世界の最新動向や過去の経緯を織り込んだ力作だった。

綿密な取材に基づく事実にこだわる著者らしく、最近の原油高問題やエコと原発新設を結びつけようとする国内外の政治的な動きや電力業界の思惑もリアルに描かれていて、原子力問題に詳しくない自分にもわかりやすく、一晩で一気に読んでしまった。

地熱開発がなぜ日本で進まないのかが語られている本書を読んで、事実上、日本にも核が保有されている事実を知った。日本の核開発は、敗戦後の占領下を脱して日本が独立した1952年から始まったらしい。

以下文章は月刊チャージャーの原子力発電問題特集から抜粋

吉田内閣時代の国会答弁で現在の科学技術庁設立が打ち出され、その付属研究所では秘密裏に原子力兵器開発が目論まれていたことが明らかになっています。多くの日本人が、広島・長崎の真実を知るのは、1954年に第五福竜丸の事件(ビキニ環礁付近のアメリカによる水爆実験で被曝)が起きてから。核についてはまともに報道さえされなかった時代のことですね。

岸信介は、原子力開発が自動的に核武装する力を保持することになると自伝の中で明記してます。佐藤栄作も外務省の内部文書で、原子力利用を推進して核武装へのポテンシャルを高めることや、エネルギー利用の真意が国民に悟られないように細心の注意を払うべきだということを主張しています。

中国をはじめアジア近隣諸国がなぜ日本脅威論を唱えているのかいまいち理解できなかったけど、他国からは日本はすでに核保有国だとみなされているのかなと。

原子力問題に興味をもち、少しぐぐってみたら、ひとつの原子炉からは、1年間で広島に落ちた原爆1000発分の放射能をもったゴミが出るそうな。1基40年稼働するとして1基当たり4万発。日本では現在50基以上の原発が稼働してるらしいので、単純計算で原爆200万発分の放射能が生み出されることになる。

その危険なゴミ(というより危険すぎる放射能)を安全に処理する方法がちゃんと議論されないままに見切り発車で開発された日本の原子力発電所。近年、六ヶ所村での放射能もれやら放射能もれ隠しが問題になってはいるものの、いまいちその危険性は共有化されていないような気が。

地球温暖化のエコブームの昨今、CO2排出量が少ない原発=エコだなんていう動きも電力会社やらエネルギー族議員の間で主張されてるようだけど、CO2と放射能のどっちが危険なんだという話。

この本を読んで、エネルギー戦争は別に中東やらロシアやらアングロサクソンだけの問題ではないんだなと遅ればせながら考えさせられた。

真山仁氏には、こうしたリアルな危機を一級のエンターテイメントにくるんで告発する物語をどんどん発表していただきたいなと思う。

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メディアのしくみ

いろんなブログに書評が書かれていて以前から気になっていた、マスメディア&ネットメディアマーケティングの未来像をその本質的な仕組み分析をもとに占った本『グーグルに勝つ広告モデル』を読む。
グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書 349)

著者:岡本一郎

グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書 349)



タイトルが本書の本質的なテーマにマッチしていないような気がするけれど、書かれていることはロジックが極めて明解。 なるほど評判になるわけだと。
本の内容はR30マーケティング社会時評ブログに詳しい。



本書オリジナルの目新しい発見はそんなにないかも。
ただし、以下の説明は事例やデータを交えた形で特にわかりやすかった。

・マスメディアビジネスの本質は「注目=アテンションの卸売業」
・メディア/コンテンツビジネスは過去の遺産(ストック)と競合する


倒れかけたレガシーシステム=マスメディアとgoogleに代表される新興かつ信頼性に欠けがちなネットメディアとの戦いという古い図式から、この本を読んで脱却するマスコミ人も結構いるんじゃないかなと。

電子書籍という市場の中で両者の中間のような仕事をしつつ思うのは、既存4媒体の良さもあるしネットメディアの良さもあるなぁということ。
もちろん、それぞれのデメリットも。

勝つも負けるもなくて、googleはすでに社会インフラのようなもの。
肯定も否定もなくて、新しい枠組み(プラットフォーム)とコンテンツの両方をただ進化させていくのみなのかなと。

しかし、読んで頭ではわかったものの、実際にやるのはむつかしい。
右脳寄りのコンテンツ脳と左脳寄りのプラットフォーム開発脳は違うものだからね。
少ない脳みそを片方ずつフル回転させると、膨大な情報が脳みそからあふれてしまうよと。
そして、本書で引用されていたマキャヴェリの言葉も印象深い。

「新しい秩序を打ち立てるということくらい難しい営みはないということをしっかりと頭に入れておかなければならない。なぜならその責任を負う人物は、現体制でおいしい思いをしている人をすべて敵に回す一方で、新体制で甘い汁を吸うことになる人からは手ぬるい支援しか得られないからである。」
マキャヴェリ『君主論』

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仕事道楽 鈴木敏夫Pのお仕事

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書 新赤版 1143) Book 仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書 新赤版 1143)

著者:鈴木 敏夫
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ジブリ映画の国民的映画化の仕掛け人、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが語り下ろした本『仕事道楽』を読む。

目次はこちらのブログでも

この本で、鈴木Pの愛情あふれた視点から語られる4人の偉人たち(変人ともいえる)のエピソードが面白い。

映画監督宮崎駿と、彼が尊敬しライバル視した高畑勲。そして、鈴木Pが在籍していた徳間書店の元会長徳間康快とアニメージュ創刊時代の上司の合計4人。

鈴木Pについてはその仕掛けの大胆さ、キャッチコピーの秀逸さ等販促手法についての凄さが語られがちだけど、この4人の個性をうまくひきたてつつ、当事者間の微妙な関係バランスをほどよく保ちながら映画製作を継続させた点が凄いなと。

中でも、東映動画時代に労組の書記長と副委員長という間柄でもあった宮崎駿と高畑勲の長年の関係とそのエピソードの数々が面白かった。

特に、宮崎駿が「風の谷のナウシカ」を映画化する際に条件としてつけた、高畑勲をプロデューサーにして欲しいという願いが、高畑によってあっさり断られ、宮崎駿が飲み屋で日本酒をガブ飲みして泣くシーンがほほえましい。

鈴木Pの前で彼は涙ながらにこう訴える。
(おれは)「高畑勲に自分の全青春を捧げた。何も返してもらっていない」

今や2人とも日本のアニメ史、映画史に残る巨匠だけど、ただのウルトラ我儘な男の子でもあるのだなぁと。その我儘な爺・宮崎駿が美術館に続き保育園を作るという、壮大かつ奇天烈な計画をぶちあげている点も面白い。

仕事で出版や映画業界の大御所にお会いする機会があったけど、巨匠と呼ばれる方々は同時に、発想が異常に豊かな大きな子供ともいえる印象も持った。

宮崎駿と高畑勲のその発想のユニークさは、妖怪・水木しげる先生に優るとも劣らないような気が。

そんな大変な先輩たちとのハードワークも「仕事道楽」として楽しめてしまう(実際はとても笑えない深刻かつ悲惨なシーンもあっただろうけど)、鈴木Pの懐の深さがこの本によく表れていた。

出版・映画界をサバイバルしてきた60歳以上の人たちはパワフルだね~、と改めて感じる1冊。自分たちの世代を含め、定年をまだ迎えていない現役世代はまだまだ小さいよと。

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初代適当爺 植草甚一

61608329 晶文社から復刻された『植草甚一スクラップブック』はイカしたシリーズ本だ。

70年代~80年代にかけて、当時の文科系男子に絶大な人気を博したコラム書きファンキーおじいちゃんこと植草甚一の通称はJ・J。

神保町古本めぐりと映画観賞の達人だった植草甚一は、
「映画中毒者の甚一」という意味でJ・Jと呼ばれたそうな。


今夏はJJの生誕100周年だった。

これを記念し、彼が遺したエッセイやコラム集を復刻したのが植草甚一スクラップブック。

今週、J・Jのホームタウン神保町の本屋でフェアをやっていたので何冊か買って久々にその文章を読んでみたらはまってしまった。

けっこう長文ではあるけれど、ゆるめで読みやすい文章がきもちいい。
本やら映画の世界を散歩しながら徒然と書きつつ、同時にさぼってもいる文体という感じ。

酒や女やギャンブルやらグルメにはあまり興味がなく、ひたすら本と映画と音楽と雑貨、煙草とコーヒーを偏愛したJ・J。
1日50冊の本を買い、15分に1本たばこを吸っていたハードボイルドぶりがただものではない。

川本三郎氏曰くJ・Jは、
自分の好きな世界が小さい頃に決まってしまい、爺さんになってもその好きな世界からずっと動かなかったのだという。

J・Jスタイルの極意は、ゆりかごから墓場まで好きなものにひきこもる、ちゅうことかと。
とても自由で軽やかな世界観を読む本。

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ロードショー廃刊が福田首相を…

映画雑誌の老舗「ロードショー」が休刊するそうな。。

福田首相の辞任表明を吹き飛ばすショッキングなニュースw

思えば、小学生のときはお世話になった。
当時はスクリーンとロードショーを交互に買ってたなと。
ハリソンフォードの記事をどれだけ載せてるかが購入の決め手。
とはいえ、ちょっとHなピンク映画ページがあったロードショー寄りだったかも。

中学生になってよりマニアックなキネ旬に移ってしまったけど、
映画ファンの誰もが通る2大洋画雑誌の1つがなくなってしまうのはさびしい。
福田首相辞任も、ロードショー休刊のショックのせいではあるまいか。

創刊は1972年。自分より長生きした雑誌ということで、無料情報全盛期の昨今、ある意味大往生といえるかな。

最近は平均発行部数5万部ということだけど、残ったキネ旬、スクリーンはもっと少ないはず。実売部数は3万部前後ぐらいなんだろうか?

配給会社の人も、今や雑誌よりネットの映画サイトとか映画好きブロガーの口コミの方が影響力が強いといっていたなと。
映画雑誌を読ませず、劇場まで直接観客をぶちこんだという意味で、おすぎのCMでのシャウトも強敵だったはず。

とはいえ、残る2誌にはわしらオールド映画ファンのためにもがむばってほしい。

老体にむちをうち続けた福田首相も、激務引退後は温泉でキネ旬でも読んでゆっくりしてもらいたい。

しかし、最後の福田内閣メルマガに書かれていた「一枚のうろこ」ってどういう意味だったんだろう?

一枚のうろこ。福田康夫です。

のうろこ。福田康夫です。

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