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戦争はいかに「マンガ」を変えるか― マンガの地位はなぜ低い

マンガ文化の日米比較論的ともいえる、とてもおもしろく刺激的な1冊。

戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌 戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌

著者:小田切 博
販売元:NTT出版
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かなり硬めの本なのでまだうまく理解できていないんだけど、
日本で数少ないまともなマンガ評論家のひとり、夏目房之介氏のレビューはさすがに的を得ている。
夏目氏が同書より抜粋した下記の文章には、はげしく同意。

(日本のマンガ評論本の)言説の持つ脱歴史性、それが結果として、(マンガ)で描かれた表現から政治性、社会的な意味を読み取ることを読者に放棄させる役割を果たしてきた点を指摘しておきたい。〉

〈いまや私たちはかつて排された「『まんがと社会』や『まんがと文学』『まんがと映画』『まんがとTV』『まんがと思想』その他もろもろの、まんがと他の物を対立させて展開するまんが論」をこそ切実に必要としているのではないか〉


著者の主張は、マンガ家は戦争・政治に対し、出版社など周囲の圧力から逃げずに踏みとどまり、マンガ批評は逆に政治・社会を取り込むべき、というもの。

従来のマンガ論本にありがちな、
論でもなんでもない「自分語りエッセイ的読書感想文」
に対する痛烈な批判だなぁと。

いまや、コンテンツ振興法などで国策のひとつに指定されるほどのメジャーカルチャーといえるマンガ。

圧倒的な数の読者と巨大市場を持つマンガがその存在感とは裏腹に、
出版界で「軽チャー」としてみなされてきたのはなぜか。

マンガに関係するしごとやマンガ文化そのものが低い地位に置かれ続けてきたのはなぜか。
その答えのひとつが本書にあったような気がする。

著者の小田切博さんには、次作ではもっと踏み込んで闇の部分にふれてほしい。

マンガ家や読者がマンガに社会的な意味を付与することを
放棄するような風潮は、なぜつくられたのか。

たぶん、マンガに関するいろんなことを考えている
多くの人がここに行き着いて止められてしまうような気がする。

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